【壮絶なるストーリーと分析】夜と霧:疲れた、辛い、自分探しをしたい方必読【全員必読!!!】

メンタルヘルス

こんにちはプログレです。

本日は、恐ろしく衝撃を受けた本を紹介します。人生観変わります。私自身本を読み終えた後人生観変わりました。同時に本にも関わらず、あまりにも衝撃的な話だったのでふわふわした感覚がありました。現実に戻るのに1時間ほどがかかってしまいました。

1人でも多くの方にこの衝撃や人生観の良い道標になって欲しいと思い、ブログを書くことにしました。

筆者は製薬業界12年以上勤務をしており、今は管理職に就いています。
小さな会社なので、守備範囲も広く、毎日新しいことにチャレンジしながら、フルタイムで働き2歳と4歳の子育てをしています。

夜と霧

金槌で頭を殴られたほどの衝撃を受けた本はこちらの「夜と霧」です。

新版とそうでないものと2種類あるのですが、新版を読みました。

1回目はトークバック機能で音で読んで、2回目は話をまとめたいと思う黙読しています。

この記事を耳で聞きたい方はこちらから

本の背景

医師で、心理学者である著者ヴィクトール・E・フランクルさんが第二次世界大戦中、ユダヤ人であることを理由に強制収容所に収容されます。

強制収容所での人の心理、看守の心理を心理学者の目線で客観的に描写しています。

言葉は難しくないです。翻訳されているので多少の違和感はありますが、分かりやすい言葉のみ使った文献を読んでいるかのようです。しかし文献を読む退屈さなどはなく、壮絶な話がとても客観的に描かれています。

ヴィクトール・E・フランクルさんとは

1905年にウィーンに生まれる。ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。

ウィーン大学医学部精神科教授、ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。「第三ウィーン学派」として、また独自の「実存分析」を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。精神科医として有名であるが、脳外科医としての腕前も一級であった。

1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。

1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。

フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。

その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。

1947年にエレオノール・キャサリン・シュヴィンと再婚している。50年以上に渡り、仲睦まじい夫婦であっただけでなく、彼女はフランクルの学問的な協力者でもあった。その辺の事情は、『それでも人生にイエスと言う』に詳しい。

ナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったという。他に読売新聞による2000年の「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

Wikipediaより

ヴィクトール・E・フランクルさんは恐ろしく優秀な方です。
3年間の壮絶な収容所生活で、心身極限状態にも関わらず、記号でどうにか記録を書き留め本を出版する。並大抵なことではありません。

アウシュビッツ収容所は耳にした方はいるかもしれませんが、この当時のナチス軍による収容所はどこも死と隣り合わせの恐ろしい環境です。

 

本書について

 

本は3段階で構成されています。

第一段階

収容所到着から数日間の人の心理状況が描かれています。

写真などはあまりないので、文章による描写です。それまでの自分の人生が全て無かったことになると記されています

 

第二段階

強制収容所生活が著者の体験を含め描かれています。

常に、空腹と睡眠不足です。

栄養状態は最悪な状態(薄い少しのスープと本当に薄いパンのみの生活)で、何キロもある雪道や寒い中歩かなくてはいけません。ドイツの冬は11月から日本の真冬の状態で、日中でも氷点下が当たり前です。

歩いた先でまた肉体労働。

理由なしに鞭打ちや暴力を振るわれます。

そんな毎日です。

本書でのメインはこの第二段階になります。

精神的・肉体的に限界な状況で、精神状況によってその後の人生が変わっていくエピソードもあります。

第三段階

収容所から解放されて

著者は無事収容所から解放されます。人々の心理状態がエピソードと一緒にここでもしっかり描かれています。

エピソードとしては以下のことが書かれています。

✅ 「これほど恐ろしい体験をしたのだから、これくらいどうってことないだろう」と無駄な悪い事をする

✅ 家に帰っても夢にまで描いた家族がいない。その時の心理

 

本書における学び

生きる意味を問う

生きる意味を180度転換する必要がある。

「生きることから何を期待するのではなく、生きることが私から何を期待しているかが問題である」と言うことを学び、絶望した人間に伝えなければならない

 

苦境に直面したら

自分の持っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。

まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」に耐えられる

ニーチェの言葉に「なぜ生きることを知っている者は、どのように生きることにも耐える」とあります。

生きる目的を事あるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり強制収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしないといけない。

 

あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない

 

結論

もしもあなたが何かに悩んでいたり、辛い、目的がわからないとなったら少し立ち止まって考えてみてください

✅ 生きることから何か期待するのではなく、私たちから「生きる」が何を期待しているのか

✅ 生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務である

✅ 生きる課題を果たす義務を引き受けている

こうとも言わないと、強制収容所での生活を強いられた方の人生の説明がつきません。

そこまで酷いことはないし、今後あってはならないと思います。

少し難しい考え方ではありますが、本書を読んだ上で考えてみてください。

自分の人生のあり方、家族や大切な人や者、自分なら何ができるか考えられると思います。

あとがき

私にとってこの本は人生観を変えた1冊でした。

今のタイミングで読んでよかったと思いました。

✅ 家族が健康であること

✅ 睡眠や食事を困難なく得られること

✅ 仕事があること

日常生活のありがたみを改めて感じることができました。

時間は有限です。

年齢なんて関係ないです。

私は30代半ばで会社員をやっています。

2人の子育てをしながらでもいろんな方に支えられながら生活をしています。

そんな中、去年末からブログを開設し、先月からYouTube配信しています。

本当に意味不明です(笑)

でも1人でも私のブログやYouTubeで救われる方がいると嬉しいです。

何かのきっかけになるだけでも良いです。

私の父は小学校2年生の時にガンが見つかり、余命宣告されました。1年くらいかな。

でも小学校5年生までガンと戦ってくれました。

入院している父を見かねて母が退院させました。

細かい背景は聞かされていなかったのですが、どんどん弱気になる父が耐えられなかった。また最期は家族でと思ったのだと思います。

そんな父は余命以上に生きてくれた。

この本が私に解答を示してくれたと思います。

父は病気と勇敢に戦い、父親としてしっかり人生を全うしたのです。

子供の前で父は弱音を吐かず、寝たきりではありますが言葉一つ一つが父親でした。

今思うと、それは私にできるかと問われると難しいかもしれません。

自分の運命を恨みたくなると思います。

でもそれは見せなかった。

父を改めて尊敬できた本でした。

筆者の生きる目的は1つ増えたように思います。

父としても生きていこう。そう思いました。

父は飲兵衛です。私はお酒断ちました。

夫も飲兵衛です😓😓😓😓😓😓😓

男性の好みって父に似るって言いますが、ここかい!!!

ブログを読んでいただきありがとうございました。

質問や感想、コメントなどありましたら、コメント欄やコンタクトフォームからお問い合わせください😊

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